早川(はやかわ)家住宅
所在地 山口県長門市通(かよい)
指定物件 主屋
建設年代 天明5年(1785年)頃、文化10年(1813年)頃改造
特徴等 青海(おうみ)島の漁家建築
所有形態 私有
概要
早川家のある通浦は、青海島の東端に位置する漁港で、中世には海路関が置かれた山陰海上交通の要衡であり、江戸時代には長州捕鯨の基地として繁栄した。早川家は中世には後根と称し、この地域を支配した土豪であったが、毛利氏の時代には庄屋役を務めている。文禄・慶長の役には毛利軍麾下の吉見長次郎の船頭として功績があり、早川姓を賜った。以後通鯨組の創業に貢献し、代々網頭や浦方役人として活躍した家柄である。
この住宅はもと網頭で廻船業も営んだ黒川家のもので、天明5年通浦大火で類焼した早川家が買い取り移り住み現在に至ったものである。
建物は路地に接して東面し、西側は石垣を築いて海側道路に面した土蔵造り一部二階建てで、南妻入母屋・北妻切妻造りの本瓦葺である。北側二間を通り土間とし、床上部は二列に各三室ずつを縦に配している。奥座敷の次は一間通りの仏間とし、上手に作り付けの仏壇を構える。