喜多(きた)家住宅
所在地 石川県羽咋郡宝達志水町北川尻ラ4番地
指定物件 主屋、表門、道具倉、味噌倉、
建設年代 主屋=19世紀初頭、表門・道具倉=江戸時代末期、味噌倉=天明6年
特徴等
十村役(=大庄屋)を務めた上層豪農として整った形式を持ち、屋敷構えや付属建物も揃っている貴重な遺構
所有形態 宝達志水町
概要
喜多家は、新田源氏の末裔と伝え寛永15年(1638)に武士を捨てて現在地に移住し、姓を喜多に改めたという。江戸時代後期には十村役を務めた豪農である。屋敷は能登半島の千里浜近くにあり、その周囲は防風・防火の広大な屋敷林となっている。主屋は東面し、切妻造、妻入りで、正面に束・貫を化粧に現した高い妻をみせ、屋根は桟瓦葺である。