重要文化財草野家住宅よりも「草野本家のお雛祭り」の方が知名度は高いかもしれない。近年重要文化財の建築物は指定に伴いその活用が求められると聞く。我が家は活用の方が先にあり指定が後からという順番をたどったのでその経緯を少し書いてみた。
英語の教師だった母が教員の仕事を退職した直後、何かをしていないと気が済まない母は地域おこしをしていた長男の同級生に呼応して蔵に眠っていた雛人形を奥座敷に飾り昭和59年公開を始めた。
当初は誰もその後の賑わいを想像できたものはいなかった。開始直後はさほどでもなかったが昭和61年NHKが30分の特番で全国放送を試みたところ一気に知名度が上がりわが家の前は入場者で長い行列ができてしまった。わが家の周囲には観光客用のお店など一軒もなかったが人が集まれば店もできる。たちまち日田市でも数少ない空き店舗のない商店街、となった。NHKが放映したのは新進気鋭のプロデューサーがたまたま興味を示したから。彼は後にNHKスペシャルを担当するようになったと聞く。
しかしそれも平成25年くらいまで。(平成21年重文指定)よく続いた、ともいえる。今では行列などは見ることもなくなったが公開だけは妻が引継ぎ継続している。次への引継ぎが課題だがここ10年は赤字経営となっており続けるほどに赤字が累積する状況に至った。そこで観光業の経験豊富な若い方に協力をお願いし新しい企画も打ち出しているがまだ暗中模索の状況でもある。何とか安定した運営で地域の活性化にももう一度役立てるようにしたいと願っている。今年の秋には日田市の千年あかりという祭りにあわせ初めての夜間公開を企画している。
30年お雛祭りで経営が成り立ち、地域興しの核となったのだから成功例、といえるかもしれない。しかし重文指定後平成26年から8年かけての大修理は草野家住宅としては有り難いことではあったが、こと観光に関しては大いなるマイナスであったことは間違いない。保存と公開はある意味では相反することになりがちだ。経営の限界を感じる状況に至り、母から引き継いだ我々夫婦も70代。赤字経営を次世代には渡しにくい。最後の知恵の絞りどころなので、重文民家の集いの皆様に是非お知恵をお借りしたいと願っている。
*草野家住宅の詳細は下記のホームページで